こんにちは、処女調教師のしょーたです。
新宿キャラメルプリンはもともと「ブルセラショップ」でした。それが女子高生のエッチな写真やビデオを販売するようになり、やがて客が気に入った子のパンチラ写真やエロビデオを撮影できるようになりました。今日はその「新宿キャラメルプリン」でのエッチな体験その2を報告します。
制服パンチラ写真は全員オッケー

再オープン当初は、女子高生が自分でパンツを脱いで売る、お客がパンツを脱がせる、女子高生たちのパンチラ、セミヌード、フルヌードの写真やビデオを買う、くらいのメニューだったのですが、やがて、お客が気に入った女子高生を指名して、好きなポーズをとらせて写真を撮る、というサービスが始まりました。
撮影する写真の内容は本人との交渉次第ですが、スカートをめくった制服パンチラ写真程度ならほぼ全員オッケーという、女子高生制服パンチラフェチには、こたえられない状況になっていました。
女の子によってオッパイ写真もオッケー、フルヌードもオッケー、オマンコおっ広げ写真までオッケーという大サービスの子も少なからずいました。
数が増えれば質も高くなる法則

そして再オープンから1年もすると「キャラメルプリン」の知名度は女子高生たちの間で高まり、平日の放課後はいつ行っても、大勢の制服女子高生たちで混雑するようになっていました。
ときにはお店に入りきらない女の子たちが、お店のドアの前で待機しているようなことも再三ありました。
女の子の数が多くなれば「確率」の話しで「質」すなはち美少女に出会えることも多くなります。
実際、私は信じられないような美少女たちの制服パンチラ写真を撮ったり、ハメ撮りしたり、それはもう酒池肉林の境地を極めたと言っていいくらいハレンチな欲望を満たすことができました。
専用個室でエッチな写真撮影ができる

写真撮影はお店が用意するポラロイドカメラを使用し、撮影料は1枚500円でした。
そしてこの頃になると、店主はお店のあるマンション内にもう1部屋借りて、写真を撮るお客はそこをスタジオ替わりに利用することができました。
マンションの1室で女子高生と2人きりになって
パンチラ写真やヌード写真を撮影するとう、今考えたら夢のようなことがやりたい放題だったわけです。
前述したように女の子の「質」も日に日に高くなっていきました。
1980年代にテレクラが登場した頃は、援助交際するような女子高生は「不良」と呼ばれる問題のある子がほとんどでした。女子高生と言っていてもあまり学校に通っていなかったり、もうすぐ中退するとか、そもそも偏差値の低い学校の子がほとんどでした。
ところがこの頃(1990年代)になると、制服が可愛くて有名な女子高や、お嬢様学校、偏差値の高い学校の子たちもたくさんキャラメルプリンにやって来るようになっていました。
平日はほとんどの子が学校帰りの制服姿で来店しますから、都内でちょっと制服の可愛い学校や有名学校の子はすぐにわかりました。
おかげで私がキャラメルプリンに通った約2年半の間で、都内のこれはという女子高の制服パンチラは、すべて目の前で見て写真におさめることができました。
偏差値の高いあの女子高や超お嬢様学校、制服が可愛すぎるあのブランド女子高などなど。
遊び方・指名の仕方

キャラメルプリンでの遊び方の手順はだいたいこんな感じです。
気にいった女の子がいたら店主に「あの子はパンチラ写真オッケーか」確認します。(ほとんどの子がパンチラ写真はオッケーでした)
オッケーならポラロイドカメラを借りて、女の子と2人で隣の部屋へ移動、そこで軽くおしゃべりしながらパンチラ写真を撮ります。
品川J学院、渋谷J、双葉J、大妻J、白百合J、J学院、東京J学館、、、数えたらきりがありませんが制服が可愛くて有名なブランド女子高、偏差値の高い女子高、お嬢様学校の子(しかも可愛い子ばっかり厳選して)たちのパンチラ写真を撮るときは、もんどりうつほど興奮し、写真を撮りながらその場で射精しそうになったことも何度もあります。
当時制服の可愛さ人気ランキングでダントツ1位だった目白学園(セーラー服に白いブレザー/2009年に男女共学校になり名称も変更)の子たちもたくさん来ていました。
ある学校の誰か1人でも来ると、やがて同じ学校の子が連れ立って来るようになります。ですからそれぞれの学校ごとに、かなりの人数の中から可愛い子を厳選することができたのです。
おしゃべりしながら何枚かパンチラ写真を撮ったあと「オッパイも撮らせてくれる?」とか「おマンコ開いた写真撮りたいな」「フェラして欲しい」とお願いすると、だいたい9割くらいの子はオッケーでした。
本番エッチオッケーの子もたくさんいました。
*このとき撮影したお宝写真は結婚するときにすべて破棄したので現在は残っていません
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